2017年2月18日土曜日

中古音の学び方

早く現在の普通話の発音の話に移りたいのですが、もうしばらく中古音の話を続けたいと思います。


ネットの海は広大ですね。ネット上の資料だけで中古音は学べてしまいます。
今回はそんな、中古音を学ぶのに役に立つオンライン資料の紹介に徹したいと思います。



大雑把な言い方になりますが、切韻と韻鏡という二つの資料を突き合わせて複雑な音節表をつくり、それを現代の漢字文化圏の諸言語・諸方言との対応や発音を知る手がかりになる歴史的文献と比較することで中古音は復元されています。
近代的な学問として中古音の復元に取り組んだ最初の学者とされるのがスウェーデンのベルンハルト・カールグレンですが、江戸時代の日本の国学における中古音研究もなかなか大したものです。韻鏡というのは中国では長らく失われていて日本にのみ残っていたものが、近代になってから中国側にも知られるようになったものだそうです。


ともかく中古音の入門テキストとしては以下のものをお勧めします。わずか30ページちょっとの資料ですが、この練習問題をすべてやると一通りの知識は身につきます。
音韻学入門 −中古音篇 - 愛知県立大学 外国語学部(富山大学人文学部中国言語文化演習テキスト 1998)

上で紹介したテキストが書かれた1998年に比べて、オンライン上の資料はだいぶ充実しています。
例えば、韻典網では様々な韻書から漢字の発音を横断的に検索することができます。そのサイト内にある、韻鏡を広げた中古音の全音節表とも言うべき広韻の等韻圖を私はエクセルにコピーして並べなおして遊んでいたことがあるのですが、中古音の音節構造について知識が増した経験でした。

他には、韻鏡をオンラインで見やすいフォーマットにして公開しているサイトもあります。
WEB韻鏡

他に日本語のサイトでは漢字データベース内の宋本広韻データが便利です。


あとは、英語版のウィキペディアがけっこう詳しいです。




2017年2月5日日曜日

簡体字について

当ブログではなるべく漢字の発音に話の焦点を合わせたいのですが、やっぱり漢字というものの特徴として、字形の問題を避けて通ることはできないようです。

簡体字のなりたちについて調べてみると、異字体の整理によって画数の少ないものを採用したり、草書の字形を楷書の運筆方法で書けるように工夫したりと言った、伝統からそれほど外れていない要素も多くあります。

ただし音符(漢字の構成要素のうち音を表す部分)の入替えで作ったものについては問題です。

漢字の語源に関して中国語学者・藤堂明保が研究した単語家族説という考え方があります。音符が共通しているものは上古における発音が近く語源的なつながりある、という説です。例えば「青晴清」なんかは音も意味も互いに通じるところがある、という主張です。藤堂先生ご自身によると、清代の学者たちが挑んだテーマの一つが音符の共通性と語源的なつながりなんだそうです。
そして私はこの考え方が大好きで、その研究成果が反映されている漢和辞典である学研教育出版「漢字源」を愛用しています。

参考:漢字の語源研究 上古漢語の単語家族の研究 学燈社, 1963


いわゆる旧字体は康熙字典体と呼ばれる清朝期の字典に準拠したものが基礎となっていますが、装飾的な目的でやたら複雑な字形が採用されているという一面もあったと思います。藤堂先生も字形の簡素化や同音の漢字による書きかえを提唱していましたが、それはあくまで単語家族の枠内での話です。

単語家族の枠を飛び出してしまうとやり過ぎです。

たとえば「担」は「擔」の俗字として近世から使われており日本にも江戸時代には伝わっていました。現在では日本の新字体と中国の簡体字に両方に「担」が採用されています。
これは音符を「旦」に置き換えることによって作っていますが、中古音本来の「擔」の韻尾子音は-mなのに対し「旦」の韻尾子音は-nです。上古においては明確に区別されていたと考えられ、別の単語家族に属するものです。

中華人民共和国の成立後、現代語での発音のみに基いてこのような原理で新たに作られた簡体字は大量に存在します。これによって単語家族の枠組みが見えなくなってしまうというのは問題だと思います。

例えば「極」の簡体字は「极」です。「極」と「及」について、普通話での発音が共通していることを利用しての簡化により「极」という字形は生まれました。ここでこの2字について、日本漢字音(呉音・漢音)・広東話・普通話の発音を比べてみたいとおもいます。
極 ゴク・キョク gik6 / jí
及 ゴフ・キフ  kap6 / jí

こうしてみると普通話の事情のほうが特殊ですよね。
さらに「及吸汲級」などは語源的なつながりのある単語家族です。
(「扱」は会意文字なので違います)
ともかく「極」がこの仲間であるかのような字形になることに私は抵抗を感じるのです。

逆に、その他の字形の簡略化についてはとくに問題だとは思いません。
例えば「災 → 灾」は古い字形の中から字形が単純なものを採用したというパターンです。
「東 → 东」は草書の字形を楷書の運筆方法で書けるように整えたものです。
これらは漢字の伝統から大きく外れるものではないでしょう。

「漢 → 汉」「風 → 风」のように複雑な要素を単純なものや、「産 → 产」「廣 → 广」のように複雑な要素を取り去ってしまったものもありますが、音符の入替えほどは問題にならないと思います。


さて前置きが長くなりましたが、このような知識を前提に簡化字総表を眺めて見ましょう。
簡化字総表は第1~第3表と付録から成り立っています。
付録は二つの部分に分けることができます。はじめの部分では簡体字の制定に先立って行われた異体字の整理の結果、現在では簡体字とみなされるようになった39の文字について整理しています。次に、簡体字の制定に際して改められた各地の地名を列挙しています。

第1~第3表の内容は以下の通りになります。

  • 第1表:個別の字ごとに簡化された350字
  • 第2表:漢字の構成要素(偏旁)として使用できる簡体字132字と、単漢字としては存在しない偏旁14個の簡化した形
  • 第3表:第2表を適用した簡体字1753字


第1表の個別の簡化というのがまたやっかいです。繁体字と簡体字が一対一対応になっていないものも多くあるからです。
たとえば簡体字「干」に対応する繁体字は「乾幹」と記されていますが、実際には「干、乾、幹」の3字が繁体字に世界には存在しており、発音が一致・類似しているため「干」を代表として簡体字に採用しています。
一方で簡体字「复」は繁体字の「復複」2字に対応するものと記されていますが、こちらの場合は単純に2つの繁体字が同じ字形に簡化されています。

また、どこまでが異字体でどこからが別字なのかという判断が難しい場合もあります。たとえば現在の日本語では「箇」と「個」は別字として扱われていますが、繁体字の世界では異字体です。簡体字「个」に対する繁体字として「個」のみが記されていますが、日本語の「箇」に対する簡体字も「个」になります。

さて、具体的に見ていきましょう。まず「干」の簡化のような書き換えの要素の強いパターンのものを58字集めてみました。別字衝突が起きている場合もありますが詳しくは触れません。中には同音・類似音の漢字による書きかえというよりは異体字の整理に近いものもあります。
カッコ内には繁体字とともに声調記号を省略したピンインを示します。多音字(複数の読み方を持つ漢字)であるものも多いのですが、簡化に際して第一の発音として扱ったとみなせるものを示しています。


第1表のうち同音・類似音の漢字による書き換えの要素が強いもの
表 (錶 biao) 别 (彆 bie) 才 (纔 cai) 厂 (廠 chang) 冲 (衝 chong) 
丑 (醜 chou) 出 (齣 chu) 淀 (澱 dian) 斗 (鬥 dou) 范 (範 fan) 
干 (乾幹 gan) 赶 (趕 gan) 谷 (穀 gu) 刮 (颳 gua) 后 (後 hou) 
胡 (鬍 hu) 回 (迴 hui) 伙 (夥 huo) 卷 (捲 juan) 开 (開 kai) 
困 (睏 kun) 腊 (臘 la) 里 (裏 li) 了 (瞭 liao) 蒙 (矇濛懞 meng)
面 (麵 mian) 蔑 (衊 mie) 辟 (闢 pi) 仆 (僕 pu) 朴 (樸 pu) 
千 (韆 qian) 秋 (鞦 qiu) 曲 (麯 qu) 舍 (捨 sha) 沈 (瀋 shen) 
松 (鬆 song) 涂 (塗 tu) 系 (係繫 xi) 咸 (鹹 xian) 向 (嚮 xiang) 
须 (鬚 xu) 旋 (鏇 xuan) 叶 (葉 ye) 余 (餘 yu) 御 (禦 yu) 
吁 (籲 yu) 郁 (鬱 yu) 折 (摺 zhe) 征 (徵 zheng) 证 (證 zheng) 
只 (隻衹 zhi) 致 (緻 zhi) 制 (製 zhi) 朱 (硃 zhu) 筑 (築 zhu) 
准 (準 zhun) 板 (闆 ban) 合 (閤 he) 





次に、音符の入替えに作った要素の強いものを私の判断で集めてみました。簡化に際して新たに作られたものの他に清朝期までに使われていた俗字も含みます。
例えば「牺(犧)」はhiからxiに発音が変化した字ですが、西はsiからxiに変化したものです。ちょっとやり過ぎなのではないかと思います。


第1・第2表のうち音符の入替えのあるもの
(遲 chi) 础 (礎 chu) 牺 (犧 xi) 岂 (豈 qi) 积 (積 ji) 极 (極 ji) 
(幾 ji)  (劇 ju) 据 (據 ju) 惧 (懼 ju) 沪 (滬 hu) 护 (護 hu) 
(歷曆 li) 递 (遞 di) 肤 (膚 fu) 扑 (撲 pu) 毙 (斃 bi) 毕 (畢 bi) 
(蔔 bu) 补 (補 bu) 亿 (億 yi)  (憶 yi) 洒 (灑 sa) 虾 (蝦 xia) 
(嚇 xia) 价 (價 jia) 华 (華 hua)  (達 da) 发 (發髮 fa) 
(壩 ba) 袜 (襪 wa) 彻 (徹 che) 阶 (階 jie)   (癤 jie) 
(潔 jie) 跃 (躍 yue) 晒 (曬 shai) 怀 (懷 huai) 坏 (壞 huai)
(塊 kuai) 态 (態 tai) 柜 (櫃 gui) 霉 (黴 mei) 扰 (擾 rao) 
(膠 jiao)  (療 liao) 辽 (遼 liao) 袄 (襖 ao) 钥 (鑰 yao) 
(藥 yao) 沟 (溝 gou)  (構 gou) 购 (購 gou) 忧 (憂 you) 
(優 you) 犹 (猶 you) 蚕 (蠶 can)  (燦 can) 窜 (竄 cuan) 
(鑽 zuan) 忏 (懺 chan) 毡 (氈 zhan) 战 (戰 zhan) 
(憲 xian) 选 (選 xuan) 纤 (縴纖 qian) 迁 (遷 qian) 歼 (殲 jian) 
(艦 jian)  (環 huan) 还 (還 huan) 怜 (憐 lian) 
(擔 dan) 胆 (膽 dan) 矾 (礬 fan)  (園 yuan) 远 (遠 yuan) 
(認 ren) 审 (審 shen) 衬 (襯 chen) 邻 (鄰 lin)  (賓 bin) 
(醖 yun) 云 (雲 yun) 赃 (贜 zang) 脏 (臟髒 zang) 让 (讓 rang)
(莊 zhuang) 桩 (樁 zhuang) 响 (響 xiang) 粮 (糧 liang) 
(釀 niang)  (癢 yang) 样 (樣 yang) 胜 (勝 sheng) 惩 (懲 cheng) 
(癥 zheng)   (鐘鍾 zhong) 肿 (腫 zhong) 种 (種 zhong) 
(瓊 qing) 惊 (驚 jing)  (聽 ting) 厅 (廳 ting) 灯 (燈 deng) 
(蘋 ping)  (癰 yong) 拥 (擁 yong) 佣 (傭 yong) 
(戠 簡化偏旁)


また第1表と第2表の間の簡化方針の違いにより、同じ構成要素が別の形に簡化されてしまった例がいくつかあります。二つだけ例を紹介しておきます。
積(积)、績(绩)
過(过)、渦(涡)

2017年2月4日土曜日

日本の新旧字体について

私は簡体字で中国語学習を始め、ある程度まで進めたあとから繁体字を覚えました。

初めは簡体字に強い抵抗を覚えたものですが、現在の日本人に取って簡体字が読みにくい要因の半分くらいは異体字や草書体についての知識を学校教育で教えないことにあると私は考えています。例えば「無」の簡体字は「无」であることに私はなかなか慣れることができなかったのですが、昔の日本人が書き残した文献にもどちらの字体もよく使われています。
繁体字を学びはじめたころも「點」や「寫」になかなか慣れませんでしたね。


私が数えた常用漢字表には新旧字体が示されているものが362字あります。
しかし、いわゆる旧字旧仮名遣いの時代の本を読もうとするとこの知識だけでは足りなりないと思います。異字体に関する知識がもうちょと欲しいはずです。

そのへんの勉強になる参考書を以下に一冊挙げます。
旧字旧かな入門 (シリーズ日本人の手習い)(柏書房 2001/03)

そんなこんなで常用漢字表内の新旧字体の比較を以下にまとめました。
私は素人なので分類の仕方は大雑把なものです。適切でないところも多々あるかと思います。


別字衝突の問題については細かく挙げていけばきりがないと思うのですが、私が知っているのはこの程度です。
逆のパターンで「着」と「著」のようにもともと同じ漢字の異字体だったものが意味と読みの違いに応じて書き分けに使われるようになった場合もあります。

現在の日本語にはこの他にも同音の漢字による書きかえという問題があったりしますが、中国語の単語を学ぶときには中国語での漢字表現に依って記憶するので、あまり中国語学習上の問題にはならないと思います。



それでは以下に列挙します。



別字衝突が生じるもの
浜(濱) 医(醫) 欠(缺) 県(縣) 缶(罐) 旧(舊) 証(證) 芸(藝)
糸(絲) 虫(蟲) 体(體) 予(豫) 余(餘) 弁(瓣辨辯)


字形の違いが大きいもの
並(竝) 窃(竊) 献(獻) 実(實) 蚕(蠶) 尽(盡) 当(當) 辺(邊)
逓(遞) 猟(獵) 宝(寶) 国(國) 画(畫) 弥(彌) 闘(鬭) 点(點)
写(寫) 岳(嶽) 与(與) 党(黨) 円(圓) 双(雙) 台(臺) 塩(鹽)
称(稱) 鉄(鐵) 仮(假) 拠(據) 総(總) 昼(晝) 炉(爐)


部分の取出し
処(處) 価(價) 号(號) 声(聲)

読みを利用
図(圖) 庁(廳) 弐(貳) 痴(癡) 囲(圍) 灯(燈)


一部の要素の削除
臓(臟) 蔵(藏) 圧(壓) 応(應) 聴(聽) 覧(覽) 専(專) 恵(惠)
穂(穗) 団(團) 徳(德) 徴(徵) 懲(懲) 殻(殼) 穀(穀) 隆(隆)
器(器) 戻(戾) 抜(拔) 涙(淚) 突(突) 臭(臭) 類(類) 髪(髮)
暑(暑) 煮(煮) 緒(緖) 署(署) 者(者) 著(著) 諸(諸) 都(都)
殺(殺) 塚(塚) 逸(逸) 寛(寬) 暦(曆) 歴(歷) 懐(懷) 壊(壞)
撃(擊) 騒(騷) 条(條)


三つ重複する要素のうち二つを省略
参(參) 惨(慘) 畳(疊)

三つ重複する要素のうち二つをxのような形で置き換え
摂(攝) 渋(澁) 塁(壘)


その他、要素の入替えや簡素化
寿(壽) 鋳(鑄)
属(屬) 嘱(囑)
効(效) 勅(敕)
奨(奬) 将(將)
揺(搖) 謡(謠)
壌(壤) 嬢(孃) 譲(讓) 醸(釀)
単(單) 弾(彈) 戦(戰) 禅(禪)厳(嚴)  獣(獸)   労(勞) 営(營)
栄(榮) 蛍(螢) 巣(巢) 悩(惱)  脳(腦) 学(學)  覚(覺) 挙(擧)
誉(譽) 桜(櫻)
僧(僧) 増(增) 層(層) 憎(憎) 曽(曾) 贈(贈)
滝(瀧) 竜(龍)
砕(碎) 粋(粹) 酔(醉) 雑(雜)
緑(綠) 縁(緣) 録(錄)
戯(戲) 湿(濕) 顕(顯) 繊(纖) 虚(虛) 霊(靈)
変(變) 恋(戀) 湾(灣) 蛮(蠻)
壱(壹) 喝(喝) 掲(揭) 渇(渴) 褐(褐) 謁(謁)
仏(佛) 払(拂)
伝(傳) 転(轉)
争(爭) 浄(淨) 静(靜)
択(擇) 沢(澤) 訳(譯) 釈(釋) 駅(驛)
麦(麥) 麺(麵)
艶(艷) 豊(豐)礼(禮)
独(獨) 触(觸)
乱(亂) 辞(辭)
数(數) 楼(樓)
粛(肅) 断(斷) 歯(齒) 継(繼) 齢(齡) 奥(奧)
勧(勸) 権(權) 歓(歡) 観(觀)
真(眞) 慎(愼) 鎮(鎭)
廃(廢) 発(發)
堕(墮) 随(隨) 髄(髓)
欄(欄) 練(練) 錬(鍊)
児(兒) 稲(稻) 陥(陷)
担(擔) 胆(膽) 社(社) 祈(祈) 祉(祉) 祖(祖) 祝(祝) 神(神)
祥(祥) 禍(禍) 福(福) 秘(祕) 視(視)
剤(劑) 斉(齊) 済(濟) 斎(齋) 対(對)
来(來) 峡(峽) 挟(挾) 狭(狹)
併(倂) 塀(塀) 瓶(甁) 餅(餠)
巻(卷) 圏(圈)
帯(帶) 滞(滯)
渓(溪) 鶏(鷄) 潜(潛) 賛(贊)
径(徑) 経(經) 茎(莖) 軽(輕)
収(收) 叙(敍)
会(會) 絵(繪)
万(萬) 励(勵)
売(賣) 続(續) 読(讀)
区(區) 枢(樞) 欧(歐) 殴(毆) 駆(驅) 気(氣)
楽(樂) 薬(藥)
瀬(瀨) 頼(賴)
即(卽) 節(節) 郷(鄕) 響(響) 慨(慨) 既(既) 概(槪) 廊(廊)
朗(朗) 郎(郞)
暁(曉) 焼(燒)
広(廣) 拡(擴) 鉱(鑛)
従(從) 縦(縱)
桟(棧) 残(殘) 浅(淺) 践(踐)銭(錢)
碑(碑) 卑(卑)
歩(步) 渉(涉)
賓(賓) 頻(頻)
勉(勉) 晩(晚)
侮(侮) 悔(悔) 敏(敏) 梅(梅) 毎(每) 海(海) 繁(繁)
捜(搜) 痩(瘦) 届(屆)
勲(勳) 墨(墨) 薫(薰) 黒(黑) 黙(默)
乗(乘) 剰(剩)
亜(亞) 悪(惡)
倹(儉) 剣(劍) 検(檢) 険(險) 験(驗)
穏(穩) 隠(隱)
謹(謹) 勤(勤) 嘆(嘆) 横(橫) 漢(漢)難(難) 黄(黃)
亀(龜) 縄(繩)
壮(壯) 寝(寢) 状(狀) 荘(莊) 装(裝)
為(爲) 偽(僞)
両(兩) 満(滿)
恒(恆)
虜(虜)
挿(插)
免(免)
遅(遲)
覇(霸)
翻(飜)
拝(拜)
様(樣)
関(關)
温(溫)
犠(犧)
褒(襃)
衛(衞)
研(硏)
帰(歸)
盗(盜)

現在の漢字の音読みのカナ表記に関する問題

現在の日本語の漢字の音読みはカナ表記で説明されますよね。

ここで
中古音 → 歴史的な漢字音(字音仮名遣い) → 現在の音読み
という2段階の転写を想定します。

月の読みをゲツ・ガツとするようなものが現在の音読みで、グヱツ・グヮツとするようなものが歴史的な漢字音と呼びました。この歴史的な漢字音のことは単に字音と呼ぶことにしますが、漢和辞典ごとに多少の異同があります。
この字音を表記するための仮名遣いは字音仮名遣いと言います。基本は歴史的仮名遣いと共通していますが、大和言葉の歴史的仮名遣いではありえないような音の並びもあります。


江戸時代の国学者として有名な本居宣長は字音研究にも熱心でした。江戸時代における字音研究について調べてみると、中古音の復元という研究テーマがそもそも日本の国学の副産物のようにすら思えてきます。その話はいずれ別の記事でまとめたいと思います。

戦前のいわゆる旧字旧仮名遣いで表記が行われていた段階の日本では、漢字に読み仮名を振るときに字音仮名遣いを用いていました。

戦後、漢字の音読みは表音主義になりました。
いっぽう、大和言葉の語彙については「ぢ(ジ)、づ(ズ)、は(ワ)、を(オ)」など、実際の発音の区別に必要な書き分け以上の表義的な書き分けが残っています。


さて、字音仮名遣いから現在の表音主義的仮名遣いへの変化にまつわる問題をまとめてみたいと思います。



四つ仮名
ジとヂ、ズとヅの4文字を四つ仮名と言います。ヘボン式ローマ字では区別しませんが訓令式などの日本式系では区別するときがありますよね。

ヘボン式系  ジ ji、ヂ ji、ズ zu、ヅ zu
訓令式系   ジ zi、ヂ di、ズ zu、ヅ du

これは、日本語の音読みから中古音の声母を推測するときに混乱を招きます。
たとえば「地」「図」の2字は字音仮名遣いでは「地(チ・ヂ)」「図(ト・ズ)」(漢音・呉音)ですが、現在は「地図(チズ)」「地震(ジシン)」のように読み仮名をふります。ちなみに現在の普通では地図と地震はdìtú、dìzhènと発音しますが、字音仮名遣いから訓令式系のローマ字にしたtidu、disinのほうがヘボン式系のchizu、jishinよりも似ていますよね。

以前の記事で三十六字母と日本漢字音の対応に触れたときは四つ仮名を区別するものを想定しています。


合拗音の消失
昔は拗音には2種類あると考えられていたそうです。
ヤ行のものを開拗音、ワ行のものを合拗音などと呼ぶようですが、拗音でない音を直音と呼ぶそうです。

合拗音は現在では失われました。ワ行がそもそもワ一音のみをのこしてヰヱヲはア行のイエオと合流してしまいました。
ともかく字音仮名遣いの体系では以下のような合拗音と直音の対立がありました。カッコ内に字音仮名遣いに表記に添えて現在の普通話の発音も示します。

果(クヮ guǒ)、元(グヱン yuán)、鬼(クヰ guǐ)
歌(カ gē)、言(ゲン yán)、機(キ jī)

ちなみに直拗音も漢字の中古音の影響で日本語に定着したもので、それ以前の日本語になかったものだとする説があるそうです。ちなみに「狂(クヰャゥ kuáng)」のように開合どちらの拗音も備えていた字もあります。



韻尾子音-ng
伝統的な字音仮名遣とは異なる問題なので本当は今回の記事で扱うべきではないのですが、ついでに韻尾子音-ngに由来するウ・イを小書きでゥ・ィと書く方法についても少し触れたいと思います。ほとんどの漢和辞典では使われていないと思うのですが、ウィクショナリーの漢字項目などでよく見かけるので私も採用することにします。
これによって以下のような表記上の区別ができるようになります。普通話の発音も示します。
豆(トウ dòu)、西(セイ xī)
東(トゥ dōng)、星(セィ xīng)



ハ行転呼
奈良時代のハヒフヘホは現在のパピプペポのような、子音pをともなうものだったという説があります。ポルトガル式ローマ字ではハ行子音は一律にfで表されていることから16~17世紀のハヒフヘホはファフィフフェフォのような音だったのではないかと言われているようです。

語頭のハ行がハ行としての表記を保ったまま音が変化していったのに対し、語中・語末のハ行はワ行やア行に分かれていきました。現代仮名遣いで助詞の「は」をワと読む現象にのみ、その痕跡が残っています。「川(かは)→(かわ)」「言ふ→言う」のように表音主義的に改められました。

中古音の唇音の声母が字音仮名遣いでハ行に転写されたものは現在でもそのまま残っているのですが、入声韻尾-p由来の語末のフはウに変化しました。これにこの次に述べる二重母音の長音化の現象が合わさることで
合(ガフ hap6)→(ゴウ)
葉(エフ jip6)→(ヨウ)

のような変化が字音仮名遣いと現在の音読み表記の間で起こっています。上の例では参考までに広東語での辞書上の発音も字音仮名遣いに添えて示しました。

ちなみに三十六字母のhが日本漢字音のカ行で反映されているのは、当時のハ行のpよりはカ行のkのほうがhに近いと見做されたからだろうと言われているそうです。

余談ですが、このように日本語では唇で発音するpが喉で発音するhに変化したのとは逆に、広東語では喉で発音していたhやkが唇で発音するfに変化した場合があります。普通話・広東語の順で示すと「花(huā / faa1)」「課(kè / fo3)」などの例があり、この面に関しては広東語よりも普通話の方が古い発音の特徴を残しています。



二重母音の長音化
歴史的仮名遣いのアウ、イウ、エウはオー、ユー、ヨーと発音するように現在の国語教育では教えていますが、この規則は字音仮名遣いにも適用されます。そして表音主義的に表記がオウ、ユウ、ヨウと改められてしまいました。
構(コウ gòu)
高(カウ gāo)
のような対立が字音仮名遣いにはあったわけです。字音仮名遣いに添えて示したのは普通話での発音です。

エイも読みはほぼエーですが綴りは字音仮名遣いから変わっていません。
一説によると古代の日本語には長母音がなかったそうで、二重母音の長母音化は中世に頻繁に起こったらしいです。


撥音のム
ンと読む場合のムと言うものが歴史的仮名遣いにはありますが、漢字音の場合は韻尾子音-m由来のムが現在ではンと表記されます。
実は現在の普通話でも中古音の-mと-nは合流していますが、広東語では区別が残っています。字音仮名遣いで区別された例を一つ挙げます。括弧内には字音仮名遣い、普通話、広東語の順で示します。
心(シム xīn / sam1)
新(シン xīn / san1)



促音のッ
現在では小書きのッで促音を表しますが、字音仮名遣いではそうではありませんでした。例えば「学校」という単語でもガクカウと字音通りにふりがなをふっていたそうです。



さて、字音仮名遣いと現在の漢字の音読みの間で起きた問題の主なものは以上の通りです。


このほかにも中古音が字音仮名遣いに転写される時点で起きた問題や、慣用音や国字国訓、同音の漢字による書きかえなど、日本語表記における漢字使用についてはたくさんの問題がありますが、とりあえず触れないでおきます。