2017年2月5日日曜日

簡体字について

当ブログではなるべく漢字の発音に話の焦点を合わせたいのですが、やっぱり漢字というものの特徴として、字形の問題を避けて通ることはできないようです。

簡体字のなりたちについて調べてみると、異字体の整理によって画数の少ないものを採用したり、草書の字形を楷書の運筆方法で書けるように工夫したりと言った、伝統からそれほど外れていない要素も多くあります。

ただし音符(漢字の構成要素のうち音を表す部分)の入替えで作ったものについては問題です。

漢字の語源に関して中国語学者・藤堂明保が研究した単語家族説という考え方があります。音符が共通しているものは上古における発音が近く語源的なつながりある、という説です。例えば「青晴清」なんかは音も意味も互いに通じるところがある、という主張です。藤堂先生ご自身によると、清代の学者たちが挑んだテーマの一つが音符の共通性と語源的なつながりなんだそうです。
そして私はこの考え方が大好きで、その研究成果が反映されている漢和辞典である学研教育出版「漢字源」を愛用しています。

参考:漢字の語源研究 上古漢語の単語家族の研究 学燈社, 1963


いわゆる旧字体は康熙字典体と呼ばれる清朝期の字典に準拠したものが基礎となっていますが、装飾的な目的でやたら複雑な字形が採用されているという一面もあったと思います。藤堂先生も字形の簡素化や同音の漢字による書きかえを提唱していましたが、それはあくまで単語家族の枠内での話です。

単語家族の枠を飛び出してしまうとやり過ぎです。

たとえば「担」は「擔」の俗字として近世から使われており日本にも江戸時代には伝わっていました。現在では日本の新字体と中国の簡体字に両方に「担」が採用されています。
これは音符を「旦」に置き換えることによって作っていますが、中古音本来の「擔」の韻尾子音は-mなのに対し「旦」の韻尾子音は-nです。上古においては明確に区別されていたと考えられ、別の単語家族に属するものです。

中華人民共和国の成立後、現代語での発音のみに基いてこのような原理で新たに作られた簡体字は大量に存在します。これによって単語家族の枠組みが見えなくなってしまうというのは問題だと思います。

例えば「極」の簡体字は「极」です。「極」と「及」について、普通話での発音が共通していることを利用しての簡化により「极」という字形は生まれました。ここでこの2字について、日本漢字音(呉音・漢音)・広東話・普通話の発音を比べてみたいとおもいます。
極 ゴク・キョク gik6 / jí
及 ゴフ・キフ  kap6 / jí

こうしてみると普通話の事情のほうが特殊ですよね。
さらに「及吸汲級」などは語源的なつながりのある単語家族です。
(「扱」は会意文字なので違います)
ともかく「極」がこの仲間であるかのような字形になることに私は抵抗を感じるのです。

逆に、その他の字形の簡略化についてはとくに問題だとは思いません。
例えば「災 → 灾」は古い字形の中から字形が単純なものを採用したというパターンです。
「東 → 东」は草書の字形を楷書の運筆方法で書けるように整えたものです。
これらは漢字の伝統から大きく外れるものではないでしょう。

「漢 → 汉」「風 → 风」のように複雑な要素を単純なものや、「産 → 产」「廣 → 广」のように複雑な要素を取り去ってしまったものもありますが、音符の入替えほどは問題にならないと思います。


さて前置きが長くなりましたが、このような知識を前提に簡化字総表を眺めて見ましょう。
簡化字総表は第1~第3表と付録から成り立っています。
付録は二つの部分に分けることができます。はじめの部分では簡体字の制定に先立って行われた異体字の整理の結果、現在では簡体字とみなされるようになった39の文字について整理しています。次に、簡体字の制定に際して改められた各地の地名を列挙しています。

第1~第3表の内容は以下の通りになります。

  • 第1表:個別の字ごとに簡化された350字
  • 第2表:漢字の構成要素(偏旁)として使用できる簡体字132字と、単漢字としては存在しない偏旁14個の簡化した形
  • 第3表:第2表を適用した簡体字1753字


第1表の個別の簡化というのがまたやっかいです。繁体字と簡体字が一対一対応になっていないものも多くあるからです。
たとえば簡体字「干」に対応する繁体字は「乾幹」と記されていますが、実際には「干、乾、幹」の3字が繁体字に世界には存在しており、発音が一致・類似しているため「干」を代表として簡体字に採用しています。
一方で簡体字「复」は繁体字の「復複」2字に対応するものと記されていますが、こちらの場合は単純に2つの繁体字が同じ字形に簡化されています。

また、どこまでが異字体でどこからが別字なのかという判断が難しい場合もあります。たとえば現在の日本語では「箇」と「個」は別字として扱われていますが、繁体字の世界では異字体です。簡体字「个」に対する繁体字として「個」のみが記されていますが、日本語の「箇」に対する簡体字も「个」になります。

さて、具体的に見ていきましょう。まず「干」の簡化のような書き換えの要素の強いパターンのものを58字集めてみました。別字衝突が起きている場合もありますが詳しくは触れません。中には同音・類似音の漢字による書きかえというよりは異体字の整理に近いものもあります。
カッコ内には繁体字とともに声調記号を省略したピンインを示します。多音字(複数の読み方を持つ漢字)であるものも多いのですが、簡化に際して第一の発音として扱ったとみなせるものを示しています。


第1表のうち同音・類似音の漢字による書き換えの要素が強いもの
表 (錶 biao) 别 (彆 bie) 才 (纔 cai) 厂 (廠 chang) 冲 (衝 chong) 
丑 (醜 chou) 出 (齣 chu) 淀 (澱 dian) 斗 (鬥 dou) 范 (範 fan) 
干 (乾幹 gan) 赶 (趕 gan) 谷 (穀 gu) 刮 (颳 gua) 后 (後 hou) 
胡 (鬍 hu) 回 (迴 hui) 伙 (夥 huo) 卷 (捲 juan) 开 (開 kai) 
困 (睏 kun) 腊 (臘 la) 里 (裏 li) 了 (瞭 liao) 蒙 (矇濛懞 meng)
面 (麵 mian) 蔑 (衊 mie) 辟 (闢 pi) 仆 (僕 pu) 朴 (樸 pu) 
千 (韆 qian) 秋 (鞦 qiu) 曲 (麯 qu) 舍 (捨 sha) 沈 (瀋 shen) 
松 (鬆 song) 涂 (塗 tu) 系 (係繫 xi) 咸 (鹹 xian) 向 (嚮 xiang) 
须 (鬚 xu) 旋 (鏇 xuan) 叶 (葉 ye) 余 (餘 yu) 御 (禦 yu) 
吁 (籲 yu) 郁 (鬱 yu) 折 (摺 zhe) 征 (徵 zheng) 证 (證 zheng) 
只 (隻衹 zhi) 致 (緻 zhi) 制 (製 zhi) 朱 (硃 zhu) 筑 (築 zhu) 
准 (準 zhun) 板 (闆 ban) 合 (閤 he) 





次に、音符の入替えに作った要素の強いものを私の判断で集めてみました。簡化に際して新たに作られたものの他に清朝期までに使われていた俗字も含みます。
例えば「牺(犧)」はhiからxiに発音が変化した字ですが、西はsiからxiに変化したものです。ちょっとやり過ぎなのではないかと思います。


第1・第2表のうち音符の入替えのあるもの
(遲 chi) 础 (礎 chu) 牺 (犧 xi) 岂 (豈 qi) 积 (積 ji) 极 (極 ji) 
(幾 ji)  (劇 ju) 据 (據 ju) 惧 (懼 ju) 沪 (滬 hu) 护 (護 hu) 
(歷曆 li) 递 (遞 di) 肤 (膚 fu) 扑 (撲 pu) 毙 (斃 bi) 毕 (畢 bi) 
(蔔 bu) 补 (補 bu) 亿 (億 yi)  (憶 yi) 洒 (灑 sa) 虾 (蝦 xia) 
(嚇 xia) 价 (價 jia) 华 (華 hua)  (達 da) 发 (發髮 fa) 
(壩 ba) 袜 (襪 wa) 彻 (徹 che) 阶 (階 jie)   (癤 jie) 
(潔 jie) 跃 (躍 yue) 晒 (曬 shai) 怀 (懷 huai) 坏 (壞 huai)
(塊 kuai) 态 (態 tai) 柜 (櫃 gui) 霉 (黴 mei) 扰 (擾 rao) 
(膠 jiao)  (療 liao) 辽 (遼 liao) 袄 (襖 ao) 钥 (鑰 yao) 
(藥 yao) 沟 (溝 gou)  (構 gou) 购 (購 gou) 忧 (憂 you) 
(優 you) 犹 (猶 you) 蚕 (蠶 can)  (燦 can) 窜 (竄 cuan) 
(鑽 zuan) 忏 (懺 chan) 毡 (氈 zhan) 战 (戰 zhan) 
(憲 xian) 选 (選 xuan) 纤 (縴纖 qian) 迁 (遷 qian) 歼 (殲 jian) 
(艦 jian)  (環 huan) 还 (還 huan) 怜 (憐 lian) 
(擔 dan) 胆 (膽 dan) 矾 (礬 fan)  (園 yuan) 远 (遠 yuan) 
(認 ren) 审 (審 shen) 衬 (襯 chen) 邻 (鄰 lin)  (賓 bin) 
(醖 yun) 云 (雲 yun) 赃 (贜 zang) 脏 (臟髒 zang) 让 (讓 rang)
(莊 zhuang) 桩 (樁 zhuang) 响 (響 xiang) 粮 (糧 liang) 
(釀 niang)  (癢 yang) 样 (樣 yang) 胜 (勝 sheng) 惩 (懲 cheng) 
(癥 zheng)   (鐘鍾 zhong) 肿 (腫 zhong) 种 (種 zhong) 
(瓊 qing) 惊 (驚 jing)  (聽 ting) 厅 (廳 ting) 灯 (燈 deng) 
(蘋 ping)  (癰 yong) 拥 (擁 yong) 佣 (傭 yong) 
(戠 簡化偏旁)


また第1表と第2表の間の簡化方針の違いにより、同じ構成要素が別の形に簡化されてしまった例がいくつかあります。二つだけ例を紹介しておきます。
積(积)、績(绩)
過(过)、渦(涡)

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